2020年に備える

激動の2020年への準備について 書いていきます。新型コロナウィルスに端を発した動きは まるで 玉突きのように我々の社会をこなごなに破壊していきます。そのために何をすべきか 情報を拾いながら ブログを進行していくつもりです。これは戦争です。

23年前

約23年前 地方にいた。

その時ふっと思うこともあり 首都圏にきた。

それは 正解だったかどうか というよりも 次のステージへ進むための 階段となっていた。

 

もしそのまま 居心地のいい地方にいても それはそれでよかったとは 思う。

知らない幸せというのは存在する。知らなければいいこともたくさんある。

なので 正解も不正解もない。

それは立ち位置の問題にしかすきず どの立ち位置かによるから 

知れば 立ち位置も変わり 加齢すれば立ち位置は変わる。

なので 後の時ああしていれば あの時のタラればは あまり意味がない。 あとづけの屁理屈だったりするので 過去を振り返るのも時間の無駄。

 

まあ、そんなこと 深く考えも しなかった 

23年前 から 今まで 思うまま 衝動的に生きてきた。

だからこそ 今でも似たようなところにいるのだけれども・・・・

 

そのうえ 本質的なことは  以前とさほど変わっていないようにも思う。

性格も考え方も変わったが 本質は残る。

 

とにかく 時は過ぎた。そして加齢もした。

また変な知恵も身についた。

 

とにかく23年もすぎて 今更感がとてもあったりする。 またかよ的な いまだにここかよ みたいな

 

でも 順風にきた 人が 50になって 振り出しにもどるような 状況よりは まだ全然よい 会社員であれば 55歳になり みな 役員 役職定年になる。そうなると みな 生き方はおそらく変わる 変わらざるえない。と思うし 喪失感も多くあるだろう。

 

そういうのよりはまだよかったかなと思う。 年齢には勝てない 受け入れざるえないのは やるせないのはだれしも

 

23年もたち 20代 いや30年近くたった 25歳 24歳の時の感覚のまま 時間だけが過ぎたような気さえする。

 

入れ物であるからだだけが 年老いた。