2020年に備える

激動の2020年への準備について 書いていきます。新型コロナウィルスに端を発した動きは まるで 玉突きのように我々の社会をこなごなに破壊していきます。そのために何をすべきか 情報を拾いながら ブログを進行していくつもりです。これは戦争です。

オリンピックに備えなければならない。

何に備えるか

さらなる悪夢ようなパンでミックだ。

 

一部の利権 一部の経済最優先派がごり押しした後に起こるパンデミックは地獄絵図になるはず 

そういうことは落ち着いて考えればだれでもわかるようなことだが 論理や経済や目先のお金に縛られている人達にはわからない。

 

まるで これは 見聞した第二次世界大戦のさなかのような出来事だ。

こんな連中に国をまかせた いやそういう国になって起きるべきして起こることだが あまりにも 目先すぎる判断だ

序章

ネットをみていて そうかな そうかも と思った事

 

この567のごたごたは 5.6年続くのではないか という内容

 

俺もそう思うわ。

1.2年 そう思ってもいたが 第5波はせいぜい序章で そこから 信じられなようなくらい ダラダラ続くような 

 

いや ならなければ よいよ  これから 本番なんて でもね この気配 多くの人が感じているように  今は序章で これから

 

 

夢とか幸せとか

50代になり だんだん 世間でいう幸せとか成功的な価値観がどうでもよくなってきた。

言葉をかえると どうでもよい のではなく その物差しが自分とまったく違うことに気が付いた。

 

世間でいう成功を手にいれても うれしくもないし 

幸せといわれているものはそうとは思えない。

 

そういうことに気づくようになって  なんてくだらないものに人生を費やしてきたんだろうと思ったりもする。

 

そもそもお金を稼ぎ 大金を持ちたい 金持ちになりたい と思って 人生を消費していた時期をふりかえると その時間の10分の1でも別のことに費やしていたら と思ったりする。

 

お金は この世界で いろんな意味で 大事だ。

お金があるから すべて自分ひとりで やる労務から解放される。

もしも お金なんて と お金を放棄すれば エネルギーから 水や食料 病の治療まで 全部しなければならなくなる。それは 無謀に近い。なので お金は そこそこ必要だとは思う。しかし 若い時間のすべてをそこにそそぐのは×だ

今でも 80や70の人に比べたら若いのだが もはや 残り時間が見えてきているので すべてどころか半分も そこに お金を稼ぐことに 費やしたくはない。

 

人生は 有限だ。

有限の意味が 心底わかるのが 今 そしてこれから 息を吸うように大事なことに気づきはじめる。

 

そうなると 世間でいう メディア とかネットでいうところの幸せや成功感覚とは程遠いものになる。 

 

最近 それを後押しするように 人と話しても 面白くないということにきづきはじめた。

人と話して楽しいのは お互いが何か 共感できたり 意思疎通 興味を持つ 知識をえるなどがあるとおもうのだが 

一番楽しいのは共感ではないだろうか 

こちらのことを理解してもらい 相手のことを理解し 共通的な前提の中 共感できるということだが、

あまりに人と違う人生の為 わかりあえることがとても減ってきている。

加齢とともにこれはますます増えてくるだろう。

 

 

第四波

コロナに慣れてきている人々

 

ネットのニュースや発言をみていくと これからが本番らしいという内容を見る。

 

 

たぶん ほんとうだろうな 現実するだろうな そういう流れだもん。

 

 

収束するという生易しいものにならない。

 

収束すればしたでよいわけで ならない もっとひどいことになる予定で動く方がよいと思う。

どこかで 自分の物差しを見つけて その基準で 物事を判断しないと 奴隷になる。

お金という物差し 出世という物差し 世間でいう 幸福 幸せという価値観の感覚

 

これらの物差しをすべて そういう考え方もあるんだ 的にしないと 社会に飲み込まれる。

 

自分の世界と 他の世界はまったく違うものだ。

 

成功というものを手にいれても 社会で幸せそうというものを手にいれても 空虚感で いつまでも 

回し車のネズミのように 走りまわることになる。

 

それは 決して よいものとは思わない。

根性努力という消耗資産の投入

根性とか努力で投入できる資源は限られている。

思い という 定量測定が不明なものは除いて

根性努力というのは 時間に比例するもなので 一人に人間の所有は限られている。

思いがあるかどうかという熱量の可能性は存在し肯定するがそれは 長時間だとやはり定数になる。そして限りがある。 

100の仕事で思いをいれてすれば120程度とか 結果は多少違うが 100の仕事量に対して 一人で10000できることはない。やってみればわかる。

現実空間の物理的限界の壁があるから 1時間に最大限移動できる距離は決められている

 

それは間違いではないと思い やってきたが 年をとれば間違いだと気づく。

やみくもに それを投入すると それはデスマーチともなり

結果 仕事が仕事を呼び込み 限界を迎える。

どこかで立ち止まり 根性努力だけでは解決できない ステップがあることに気づかなければ 人生が消耗線と かわる