夢とか幸せとか
50代になり だんだん 世間でいう幸せとか成功的な価値観がどうでもよくなってきた。
言葉をかえると どうでもよい のではなく その物差しが自分とまったく違うことに気が付いた。
世間でいう成功を手にいれても うれしくもないし
幸せといわれているものはそうとは思えない。
そういうことに気づくようになって なんてくだらないものに人生を費やしてきたんだろうと思ったりもする。
そもそもお金を稼ぎ 大金を持ちたい 金持ちになりたい と思って 人生を消費していた時期をふりかえると その時間の10分の1でも別のことに費やしていたら と思ったりする。
お金は この世界で いろんな意味で 大事だ。
お金があるから すべて自分ひとりで やる労務から解放される。
もしも お金なんて と お金を放棄すれば エネルギーから 水や食料 病の治療まで 全部しなければならなくなる。それは 無謀に近い。なので お金は そこそこ必要だとは思う。しかし 若い時間のすべてをそこにそそぐのは×だ
今でも 80や70の人に比べたら若いのだが もはや 残り時間が見えてきているので すべてどころか半分も そこに お金を稼ぐことに 費やしたくはない。
人生は 有限だ。
有限の意味が 心底わかるのが 今 そしてこれから 息を吸うように大事なことに気づきはじめる。
そうなると 世間でいう メディア とかネットでいうところの幸せや成功感覚とは程遠いものになる。
最近 それを後押しするように 人と話しても 面白くないということにきづきはじめた。
人と話して楽しいのは お互いが何か 共感できたり 意思疎通 興味を持つ 知識をえるなどがあるとおもうのだが
一番楽しいのは共感ではないだろうか
こちらのことを理解してもらい 相手のことを理解し 共通的な前提の中 共感できるということだが、
あまりに人と違う人生の為 わかりあえることがとても減ってきている。
加齢とともにこれはますます増えてくるだろう。