2020年に備える

激動の2020年への準備について 書いていきます。新型コロナウィルスに端を発した動きは まるで 玉突きのように我々の社会をこなごなに破壊していきます。そのために何をすべきか 情報を拾いながら ブログを進行していくつもりです。これは戦争です。

落ち着き

コロナも落ち着きつつあるような印象を受ける。

あくまでニュースなどをみての体感 主観なので ほんとのところはわからない。

 

ここは田舎なので 緊張感が さほどなかったので さらにゆるい空気管が漂う気がするのも 地域がらもある。

 

これからは 徐々に 普通に戻っていくような気もする。

 

しかし 鳥インフルエンザの人感染が確認されたなど  新たな脅威もでてきている。

 

そういう時代だ。

 

自粛といいながら 空気感は 普通に近いが たぶん またぶりかえしたりしながら

 

だらだらいくのだろうな

 

 

それよりも 気がかりなことがある。

 

 

今回のコロナで間引きされた 人は 老人が多いと思うのだが

 

地方の空き家率があがり  地方の空き家価格が かなり下落している。

 

住む人がいないのだから仕方ない。

 

いくら 無料とか 家賃年間6万といっても そこに仕事がなかったり 通勤にお金がかかれば それは かわりにランニングコストが高いでしかない。

 

不動産の基本は 仕事だ 仕事があるから そこに人が入る。

どこでもそう。 仕事のない バイトもない場所は だめだ。

大学があるだけではだめ 大学がある場所が人気あるのではなく 大学の付近のバイトのあるところだ。

間違った思い込みは多いが 仕事の為にというか 仕事がないと生きていけないから 結果そうなるのだけども 

 

そういうのを最近ふっと考えたりする。

 

 

 

 

 

緊急事態宣言が延長された

緊急事態宣言の影響がある なし 大きくわかれる。

 

飲食などを中心とした業態はもろに影響をうけていて 

 

延長にともない 耐えるしかない とか みると こういうピンチの経験の無さが露呈されているのを感じてしまう。

 

ただ耐えるだけではじり貧だ。

 

世の中が急に変化するような時代になり  水商売から飲食が その対象となっているにすぎない。

 

時代がそうなったからであり コロナの影響だけではない。

 

パンデミックの本などを読むと パンデミックの時代は はじまったばかりであり

 

日本はのほほんと 戦後生きていて 危機管理がたりない。

 

客足は いったん離れたらなかなか戻らない

news.yahoo.co.jp

続く自粛「このままでは…」 コロナ禍1年 道内経済に打撃深刻 「お客戻らぬ」「再開難しい」 

 

いったん離れたらなかなか戻らない 

 

これって 全業種そうなる。

多かれ少なかれ 構造が変わる なので それに見合ったシフトをしなければならないと思う

時代の転換期

コロナがどれだけ害があるのか 僕 個人としては 実感がわかない。

健康な人にとり さほど脅威ではなさそうだが 高齢者になるに従い あるいは わかくても なにかしらの基礎疾患があれば やばい ということは わかる。

 

そういう点の 僕の立ち位置は不明だが 今のところ 密集地帯にいないことや さほど 大きな疾患がないことなど 関係ない話題のようにも思える。

 

それでも そういう方は 多くて 

この影響は もう少し長引きそうで じわじわと 真綿をしめるように影響がでてくるのではないかと思うのだ。

 

あたたかなくなれば というのも 気休めで 暖かい時期は 6か月程度だ 4月になり 10月にもなればもう冬で あっという間に寒い時期に突入する。

 

その間に次の冬の準備をしなければならず 時間はないなあ 

 

そうこうしているうちに時代も変化してくし 

 

一人の人生ではなく 多くの人生が錯綜するから まだまだ1年後はみえないが 大きく変化していくのは確定だな

 

気合

もともと気合的なものは薄い。やる気がないとよくいわれたこともある。

自分ではけっこうやる気があっても 他人からみたのがほんとの姿だったりするかもしれない。 

 

自分なりにはやる気が あり 野望があったはずなのだが、

いろいろな試練があり やる気がそがれたのか (いやたぶんそうではない。)

加齢によるものか たぶんこれだと思うのだが

 

気がつくと 気合がなくなっていた ことに気づく。

 

本当の やる気がないときは なにもする気がなくなるがそれではない。

 

やる気はあるが 自発的なものではない。

 

2021 

今年の目標は決まった。

夢もある。

できるかどうか というとわからないが そこに向かいはじめ やることをやっていけばいいだけの作業。

自分なりの階段をつくり のぼりはじめること。

 

 

その夢に関しては 叶うかどうかわからいが それはさておき 挑戦するかどうかで 夢は挑戦していくと 別の夢が本当の夢だったと気づいたりする。

ささやかな夢だ。

代替えも聞くレベルの夢

それが一般人の夢だと思う。

 

特殊な人の夢は だいそれた夢で 大統領になるとか こういうポジション 社会的成功 こういう形で とか

それ一人じゃ無理でしょというもので  これは北極星の目指す旅ようなもので人生かけなければいけない。

 

人 さまざまだが 人の人生なんて短いもので そういう夢も過ぎてしまえば 自己満足にしかすぎないと思うので 人生をかけて 無謀な夢をおうのはどうかとは 今なら思う。 

 

 

ころな心配しすぎというと意見について

社会全体にとり 一定数のいけにえや 犠牲はやむなし

戦争に犠牲はつきものだ。かわりはりくらでも いるからね

なので SNSなどで 経済をまわせという論調の人はそういうポジションで話している。

メディア TV雑誌も同じ

 

しかし 個人からすると 一度きりの人生

のせられてはいけない。

 

戦争で一番最初に犠牲になるのは そういうリーダーの意見をまともにきいた人

次に 好奇心が旺盛で リスク管理が甘い人

楽観的な人

 

死人がすくないから大丈夫という論調があるけど

後遺症が残るという 話がちらほら散見されるわけで 

かかると インフルエンザと同じではないのですよ。

 

思い込みや勘違いで かいている人がおおいけど これは戦争なので 

そう簡単にかんがえるべきでないというのに 

 

まにうけるひともいるんだろうなと 思いつつ ちょっと かんがえてしまう。